気づいてなかった、自分のしたかったこと
単身赴任先の家から妻と電話で話をしていて
「わたし、気づいたことがあったの」と言って話をしてくれた。
今働いている仕事が3月いっぱいで終了となってしまい、新しい仕事先を求めて面接に行って帰ってきたときの話だ。
昔はすごく嫌だと思っていた仕事が、実はすごくやりたかった仕事だったって気づいた、そうだ。
彼女は昔大手学習塾で働いていて、学生の進路指導などをメインに仕事をしていた。
学生の進路指導だから、学生によってはどうしてよいのかわからずに途方に暮れている人もいたらしく、相談を受けると数時間話し込んでしまうことがあったという。そのため、締め切りのある仕事をこなそうとすると残業となってしまい、いつも夜遅くまで仕事をしていたらしいのだ。
学生の相談に乗って進路指導をすることをチューターというらしい。
当時はこのチューターの仕事に時間を取られるので、チューターの仕事さえなければ仕事が早く終わるのに・・・って思っていたというのだ。
今回面接にいって、そのチューターの仕事は彼女はやりたかったということに気づて自分自身びっくりしたそうだ。
自分の強みは自分では気づきにくい
「それって気づいてなかったの?」って、この話を聞いてびっくりした。
なぜなら、私は彼女が昔やっていたチューターの仕事はすごく彼女自分に合っていると知っていると思っていたからだ。
傍から見ると、チューターの仕事は大好きだったんだろうな、というのは日ごろの話から一目瞭然なのに
それが今まで気づいてなかったなんて・・・ちょっとありえない、という感覚だ。
人が確実に変わる時
単身赴任生活になって2年
二重生活でお金もかかるのと、子供もだいぶ手がかからなくなって昨年は春から働きだした妻だけど、今の仕事は1年働いて継続できかった。もともと、一年契約だし、仕事の内容は誰でもできる仕事で、彼女でなければならない理由がほとんどない内容だから仕方がない。
やむを得ず動いた就職活動で気づいたことだけど、彼女にとってかなりのインパクトをもたらすはずだ。
私の経験から、こういう時、人は確実に変化する。
そういった人を何人も見てきているから。
チューターという仕事は、要するに人の相談に乗るってこと
彼女は日ごろからいろんな人から相談を受けている。それでいつも電話は長電話なのだ。
相談に乗るのが嫌になる人もいるだろうが彼女は、それを受けて相談に乗っているのだ。しかも普通の生活の一部として・・・重い相談もあるので、嫌がっていることもあるけれど、ほとんどの場合相談には乗っている。
なんの努力感もなくやっていることだ。
[ad#ad-1]努力感なしでできることは強み、天職の可能性がある
なんの努力感もなくできていることこそ、その人の本当の強みだということはあまり知られていないかも。
そして、その人にとってはあまりに当たり前なので、なんの努力感もなくできていることが、自身の強みとして認識されないことがある。
彼女は、他人の相談に乗るということが当たり前すぎて強みとして認識してなかった。
認識で来てなかったのにもちゃんと理由がある
実は、このことが彼女にとっての強みだということは、私から彼女にはかなりの頻度で話をしていた。
にもかかわらず、それをスルーしていたということは、無意識レベルで聴こうとしなかった理由があったはず。
それが、何かのはずみで外れたので、「わたし、気づいたことがあったの」となったのだ。
気づくと環境も変わる
彼女にはそれなりの変化が起こっても不思議ではないのだ。
きっちり気づけば、それに応じて環境も変わる
不思議なことに、彼女が気づきを得た後、継続できないと言っていた会社から、別の仕事で継続してほしいという電話がかかってきて彼女の就職活動は終わってしまった。
点と点が線として認識できると面白くなる
気づきを得させようと神様仕組んだかのような展開になる。
こういった展開はよくあるのだが、なかなか気づくことがないようだ。
このような展開に気付けるようになると、一つ一つの出来事をつないで、点と点を線として認識できるようになる。
こうなると俄然面白くなってくる。
ということで長電話になってしまった。
誰にでもある話
注意していると誰にでもある話だと思う。
もしかしたら今自分自身の上で同じように起こっているかもしれません。
何か起こっていませんかね?